結婚・離婚などのできごとを時系列で振り返るログ

個人情報、相手の国に繋がるようなところはぼやかしますが、時系列詳細を纏めています。

地元で高校を卒業後、体調を崩したため(主にたぶんパニック障害と化学物質過敏症)通信制大学に半年遅れて入学。

通信制大学とはいえスクーリングが必要なので、慎重に体調を整え夏期スクーリングへ参加するようになります。

都心のホテルに1ヶ月近くはバイトの身にはきついので、当時の外国人ハウス(ゲストハウス)を探して入居。

スクーリングに行きつつ東京に慣れる。

同じ外国人にて元旦那と出会う。まだ日本に来たばかりで会話は英語(どちらも母語ではないがどちらもある程度は話せる感じ)で、どちらもまだ生活が仕事メインではなかったこともあり、暇つぶしに一緒に都内散策や夜のお散歩、部屋でビデオ鑑賞など。

まだ都心に慣れていないこともあり、ハウスの周りを夜中に散歩するのが定番。安いファミレスで食べれるメニューでお話し。このころはまだ平和。それとまだ元旦那自身も日本疲れしていない。

六本木デビューもこのころ。外国の人と友達にならなければおそらく行くこともなかったと思うが、雰囲気は好きだった。

バイトや仕事が決まってハウスを出ることに。このころはおそらく日本人の知り合いにビジネス系で声かけられてうまく行かない、という流れになっていたころだと思う。(元旦那)

わたしの立場はつかず離れず、まあ他国に住んでるわりには自分でどうにかしようとして動いていたのが見えていた。(年齢もまだそんなにいってなかったけど、同じとしの日本人よりはるかに人に相談せず自分で解決しようとしていた感じ)

元旦那の親友来日。
別のハウスを紹介する。このタイミングで自分もそのハウスに移動。(家賃が割りカンできるから)

在留許可の延長がうまく行かず帰国。そのころから荒れだす。といっても、ココロをひらかなくなったというか。

頑張って、親友を日本に留めるためにやりたくない仕事も始めたりしていたし、食も削って、まだ英語も十分でない親友のサポートもして、、でそれでも帰してしまったのが虚無感でいっぱいだったのだと思う。

その後、なんだかんだで結婚。入籍1年くらいは親にも言っていませんでした。

結婚してから、未婚のほうがよさそうな仕事が見つかり、しばらくは結婚を隠していたり。当然ガールズが寄ってきましたのでトラブルが。

私自身も仕方ないとはいえ、女性のほうが大黒柱みたいな生活に疲れはじめていたころ妊娠。大手商社に派遣で勤めていたので、育休も可能だったが、他の問題への対処でどれどころではなくなる。

出産1ヶ月前くらいにようやく1Rでないところに引っ越し。それまでは↑の他の問題への対処で引っ越しどころではなく。(それはまた電子書籍にでもまとめようと思っています)


出産当日~1週間くらいが一番家族らしい時間だったかも。

育休中にお店出店の物件を探してきて、仕事を辞めてしまう。必然的に体調戻らなくても仕事復帰をしなくてはならないのが、余計その後からだを壊す要因になったと思う。

が、現実的に時間給で何時間働いても、外国人が3人養うのはとても大変だと振り返るとわかるので、元旦那的にもやれることの最大限ではあったのだと思う。ここの部分は当時責めてしまったのはちょっと理解不足だったかなと思っているところでもある。(後悔はしていない。実際辞める時期もう少し考えろ!と)

保育園に預けて働き始めたがアトピーがひどく、それをケアすることを優先したいのに、生活を考えて預けて働くをメインにしなければならない憤りがすごく。自分自身も神経性の歯痛や頭痛と、夜中にかゆがって起きるこどもの対応、出店して終わりが夜の元旦那の対応で、生活リズムは崩れっ放し。

ある日、あたまがフリーズして、「あ、これもう無理だ」って思い、次の日に荷物をまとめて、コンビニから実家に送り、出社。
退社後、保育園に行き、そのまま新幹線へ。元だんなからの着信がなんどかあったが戻ってしまっては何もかもダメになってしまうと無視。

実家も実家で親が療養中で長くはいられないのでとりあえずの逃げ場所として。


1週間ほど実家に滞在しつつ、母子寮や離婚前提で借りられる都心の物件をリサーチ。
体力的に働き続けられるのか不安を感じながら。

こども手当が旦那の名義だったので、そこだけでも変更して、実家で働く(なるべく早く出る)方法も模索しつつ、いったん東京へ戻り区役所手続き等を処理。
その流れで相談みたいな流れになり、シェルターを紹介される。

とりいそぎはそこから働きに行けることに。でもこの選択がプラスだったのか今でもわからない。そこから体調崩し始めているので。


戻ってからの数年は奥歯が割れるほどの毎日。(虫歯じゃなかったのに)
恐怖や具合の悪さ、将来への不安、ケガ、家庭環境、自治体のサポート。

何ひとつ「協力的」な「助け」となるものはなかった。

ただこどもが自分でいろいろ選択できる年齢になるまで「正常な判断能力を持ちつつ生きる」が第一目的で、それ以外は二の次。

楽しいことも、常識もすべて横に置く毎日。はなから楽しいこと、に恵まれている環境ではなかったけれど、ほっとするというか、我慢や疲れを感じないことを避ける、ということ自体がかなわなない毎日、とでもいうか。

助けもサポートも、苦しいなか自分たちで探さない限り見つからないっていう日本社会を実感して、元旦那のような海外から来ている人たちの気持ちの一部も理解したりして、ただそれ以上に日本の社会のどうしようもなさを実感。

自分で探してすり抜けて、ようやく今。
それでも安定しているわけじゃない。ほっとできる生活と、自分と同じ環境にいまいる人のサポートになるようなことを早くしたくてもがいている今です。

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