何に憤りを感じて、何がトラウマなのか。

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《イキカタ》

前回、日本人社会の生きづらさを実感して気づいたのだけど、なにに対して自分は憤りとかトラウマを感じているのだろうと。

漠然と、結婚生活とか過労とか、マイノリティと大きくとらえてはいたけど、具体的に見つめ直す機会って意外となかったのかもしれない。次々と処理しなくてはならない出来事が続いていたから、気持ちを休める暇がなかったマイナスもあるが、逆を返せばトラウマを直視しなくていいという環境だったのかもしれない。

過労、それは苦しかったけど、こう体質改善して、これをしよう、という計画立ては楽しいし、その辺の施術者よりたぶんある程度多方面に健康情報は詳しい。(専門性を持つのが落ち着いてからやりたいこと)

また動けなくなったら…というトラウマはやはりある。ただ、それは健康な人でもありうることでたぶん恐怖を一番感じるのはそこではない。

再婚願望はないのだけれど、安易に結婚したくなる背景

まったくもって旦那の世話などしたくないし(十分苦労してきてるのに)、仮に主夫力があるひとだったとしても、いまさら誰かと一緒に住みたくない。(気苦労が)

なのに、どこかで安易に安心したい自分がいるのは、「荷物を降ろしたいから」じゃないかと思う。また動けなくなったときに怖いのは、自分が動けないことより、動けないことで自分が世話するべき家族用にも動けなくなること。

助けやサポートのノウハウをやりくりしてどうにか弱者が普通として生活している。その経験はこどもにはまだ伝わらないし、親には伝わったとしても動ける健康がない。

いざとなったらやるのかも。昔より親は体調アップしてきているし、こどもは大きくなった。
でも、どうしても、何かあったときに連絡網すらいない緊張感を思い出してしまうのだ。だから、役に立たない夫でもいれば、連絡先とか相談先をそのまま伝言するだけの人だとしても、いた方がいいんだろうか、常に気を張っていなくていいんだろうか、って時々思うのだ。

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楽しめないもうひとつの理由

楽しむことの欲を感じられないってのもあるけれど、それだって過労のころでも最初は感じていたのです。

でも、いろいろ次々あって、何かが突然あっても、対処でき、対決できるのが自分しかいないと、いつも気を張っていないといけなかったし、自分も調子が悪いのに他のことを楽しんだり、無茶したりしたら、肝心なときに動けないから。

いつも臨戦態勢じゃないと、逆に体が持たなった。緊張してないと闘える状態じゃない。でもはたから見たら何とそんなに闘うの?って思うかも。

でも、弱者って意外と闘わないと、不条理な環境に当たり前のように置かれてしまう。それはプライドというより尊厳なのかな。弱者だからといって、我慢しなさいよ、という社会の圧力とか、普通になってからじゃないと意見が通らないとか、黙ってたら意見がないことと捉えられちゃうとか。おとなの世界も、いじめの世界も似たようなものだ。

いま考えると、欝々の原因がわからない

元旦那? いろいろあったけど、男女関係としてはともかく、面白かったしネタです。許せないところもあるけど、それは別れているのでもはやどうでもいい。ということはトラウマじゃない。

トラブル? これも感情的にも処理できている。

からだを壊したこと? これは自分の完璧主義的性格にも原因はあり、求められてなくても動いてしまうので、そこはきちんと自制してこれから立て直そうと思っているところであり、後悔はあれどトラウマではない。

すると何に対してとらわれているのだろう。なんか結局日本社会、なんじゃないかなと思っている。だから、忘れているのに、日本社会にいるのだから度々トラウマが刺激される。

不条理に出会ったとき、心無いシチュエーションを見たとき、上から目線の「助けてあげる」支援に遭遇したとき、窓口の自分ごとで考えられない対応に出会ったとき、そんなとき苦しくもやもや、過去を思い出したり憤ったりしているような気がする。

ひとつひとつの出来事はいま現在のことで、繋がりはないのだけど、窓口対応ひとつでも、こういう考えだから、このときこうだった、それでこういう羽目になった、と怒りが湧いてくる。

日本の不条理の難しいところ

日本のできごとの難しいところは、日本お得意の「努力」じゃどうにもならないことが多い。そういうものですから、とか上がそう言ってますから、とか解決の糸口がない。どこの国でも同じようなもんかもしれないけど、日本人気質は相談者側もそうで、「我慢」をしてしまう。意見、異論を出さない。
日本人気質と、異論を唱えて解決したいグローバル気質と同居している。そして多くの場合、異論を唱えようとすると「空気を読んでいない」とみられることは覚悟の上やらなければならない。

結果、これからどうしていったらよいのか

欝々の原因、ほんとはないのかな?
日本出ればいいのかな?
でも弱者として生きている(いろんな面で)のは現実で、自分が自由に生きたいと考えたとき、同じような環境の人たちも、そうしたいと考えてしまう。自分の生活もまだままならないのに。

楽して稼いでみたら何か変わるだろうか。お金がいろいろなサポートを連れてきてくれるだろうか。お金を持ったら、自分でも上のような思い忘れてしまうんじゃないか、って思ったりして、どこか所有をしないように深層心理が働いているところもある。

持たざるものの方が、ちゃんと感じ取れるんじゃないかって。でも、結局それを変えられるチカラをもっていないままになってしまう。ジレンマ。

体調が普通以下の人が、稼ぐっていったら限られてくる。同じことをやっていても内職程度になってしまう。それなりの分析や戦略が必要。

でも自分の生活だけ考えたら、そんなにいらない。結局、いまエネルギーや目標がちょっと切れていて、もう小さく小さく、あったかいお飲み物を自分用に入れながら、部屋の片づけなんて気にしないで、眠くなったら寝て、SNSもみないで予定も作らないで寝たい。

それだけ疲れているのだと思う。断捨離したくても、それを選別するエネルギーもないから、もうなにもかもそのままで。疲れているスケジュールも見直さなきゃだけど、それを整理もいまはしたくない。未来の計画なんて、ずっとやっても急なトラブルで変更になってきたから、希望なんて持たなくなってしまった。

たくさん稼いだら自由にできることも増えるし、我慢も減るだろう。でも性格的に自分で「べき」を作ってしまいそう。今のままだと。

どこを何を目指したらいいのかわからないいま。ただただ引っ込みたいし、世の中に怒ってしまいそうな過敏さがある。厭世家の気持ちがよくわかる。
アンテナで拾ってしまうがゆえに、関わらないほかないのだ。人が怖いのじゃなくて、社会の世論の気みたいなのを拾ってしまう。「良かれと思って」とか一見善意に見えるものも。

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