尾崎豊みたいな、ジャックナイフみたいなやつ。

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けっこん振り返り

まだまだ英語でお話ししていたころ、日本語訳として正しいのかはわかりませんが、こんなことを相手が言っておりました。

「自分は、大事にしてくれる人は裏切らないけど、傷つけたやつは最後まで許さず追い込む」
みたいなニュアンスのこと。

当時は、まあ自分もそういうところあるし、目には目を、的なこともあるのかな?と思っていた程度でした。

けれど、なんかその言葉がいつも頭に残っていたのは意味があったんだろうなと今は思います。

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鋭いナイフっぽい印象

大事にしてくれる人と、軽視する人への対応が違うのは、誠意の違いという意味でも、まあわかる。ただ、「許さない」の感じが、ピンと張り詰めた空気のようだったんですね。

いろいろ苦しい思いをしてきたあと、今だからわかるのですが、この「許さない」って感覚って、すごく苦しい思いを越えてきたときに持つんですよね。だた、むやみに許さない、っていうんじゃなくて、苦しみを我慢してきた上での(世間も含めて)横暴さは受け入れられない。反撃します、という。

当時、それを感覚としては理解していたのだと思います。だから、結婚に踏み切っても別に良かったのだけど、好き・嫌いは別として、当時(20代前半)それだけの怒りを世界に向けていた、ということは、出会うまでにどういう苦しい環境にいたのだろうか?そして、そのジャックナイフを通常抑えれていたということは、それだけ我慢強かったのだろう、と今になっては思います。

ただ、それと夫婦・家族としてちゃんと機能するかどうかは、また別のハナシ。

恋愛感情ではなく同類?

たぶん、わたしのなかにも、人に100%優しくしてしまうけれど、誠意がない扱いが返された場合には、ぶれがなく感情がもとには戻らない性質があることは自認していたので、そういう鋭い感覚を「怖い」とは思わなかったのかもしれません。

同類であるがゆえに、どこがキレポイントかある程度感覚的にわかっていたから。

ただ、やはり尾崎豊ではないですが、鋭い感覚寄りの人って、どこかすごい脆い・弱いところが同居しているわけなんですよね。それが、鋭さの真逆の「ピュアなやさしさ」であったりもしますが、大人として社会に生きていくにはトラブルを引き起こす。

それに翻弄されていくのですが。

ジャックナイフの対極の、穏やかさの意味は?

まだ、知り合って数日でしたでしょうか。
どっかに知り合い含めてお出かけしたんですよね。あまり詳細は覚えてないのです。

もう15年以上も前ですから。
(いや、今書いててびっくりしました。もうそんなに経ってるのか。トラウマや荷物、もうおろしてもいい。下ろすべき時間が経過してますね。)

公園だったろうか、海沿いだったろうか。
家族連れが近くにいて、ちいさいお子さんが、わたしたちの周りに来て話かけたりしてたのです。

当時、20代前半。日本でいったら、まだ大学生くらいですよね。そのくらいの歳が、すっごい穏やかな視線で、その小さな子を見るんです。

この視線の向けかた、同年代の日本人にはいないな。なんだろう、この穏やかさ。
ジャックナイフが鋭いゆえの、逆のはしっこの穏やかさ。

うまく言えないけれど、このひとは最終的な状況のときには「信頼がおけるんだろうな」と思った出来事だったのです。それはたぶん、鋭さだけでもそう思わなかったし、穏やかさだけでもそう思わなかったと思います。

両方あることで、説得力が増したというか。当時は、感覚的な判断だったんですがね。

この穏やかさに関する意味は、また別の問題を連れてくるので、そこはまた違う機会に。

 

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