国際離婚モノガタリ[であう前編 第6話]

スポンサーリンク
カテゴリー
《イキカタ》

新しい体験に触れる

スクーリングに「このまま田舎で歳取るのはいやだ!」の想いのもと、半ば強引に上京してやってきたため、ただただ色のない毎日をずっと送るものだと思っていただけに、新しい体験に怖さはなかったのです。

体験できるだけ楽しい。チャレンジするかしないか、じゃなくて老いていくより今のうちやってみたい。

上京したてなのに、外国人と出会ったことで、六本木のクラブなんて場所にも初めて行きました。おそらく性格上、健康で普通に進学出来て、普通に就職できてたら、「怖いところ」という認識で足を踏み入れることがなかっただろうところ。

95%が大学進学だった高校時代に比べ、クラブにいけば95%くらいが日本人ではない。多様性の宝庫。

居心地がよい。人と同じが安心する人もいるでしょう。でも、自分は多様・雑多が好きで心地よくて、自分らしい。それを初めて理解しました。

 

同調圧力はないかわりに自己責任

同じレール、のような生き方を否定しているわりに自分にもしみついていたのも、六本木で感じました。

規則を守っているかわりに、自分も危ないことから守ってもらえる。日本社会ってそんなところがあると思います。ある意味、安全を取りたい人にとっては大事なこと。

多様でいい、けれど変な人もいる。下心や裏がある人もいる。
同じことはしなくてもいいけれど、そんな危険なことに関わるかどうかの判断は自己責任。

個人としてリスペクトはする分、それは自分で責任をとれるこどもではないということ。

 

 求めていた人とのかかわり方にハマる

恋愛としてではなく。

長年、和を乱さないとか、空気を読むとか、そういう日本人的思考に違和感を感じてきて、人との関わりって、こうだよね!みたいなものを外国人との関わりや、外国人のコミュニティの中で体験するなかで心地よさを感じる。

それは今でもそう。

当時は、やっとであったばかりの人間関係の方法にハマって、もう地元には戻りたくない。そんな思いが強くなっていました。

散歩しながら生き方についてとか、文化についてとか、日本人についてとか、議論や説明するのが楽しくて、~が言ってた、とか教科書にはこう書いてた、とか正解を求める議論じゃなくて、自分の考え同士で会話が進むのが楽しくて、恋愛関係とかそういうの以前に「コミュニケーション」にはまっていっていました。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました