泣くにも余裕が必要 シングルマザーが泣けない理由

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《しんぐるまざー》

こどもを預けたときの振り返りをしていて、わがままが言えない、という状態って常に緊張していることか、と思ったとき、

ずっと泣けないというのは、ずっと緊張し通しなんだな

ということに気づきました。

これが普通で、この状況だとこうしかしてられないから、特別頑張っている感がなかったのがすでに麻痺している状態で、体調不良やうつ状態は、なにかさらに原因があったからというより、普通状態がオーバーワーク、ということのシグナルだったのだろう、と。

いろいろあっても基本泣けないで来た(映画や感動は別)

一時期、感情がなくなって顔面麻痺 になったときは、感動や笑いすらわからなくなってたわけで、そういうときは感動での泣きも忘れてしまっていたけれど。

なにかトラブルがあったとき、解決することに全エネルギーを向けてしまい(体調が悪かろうが、状況が悪かろうが)いろいろマネジメントして、「解決」してしまう能力はどうやらあるらしく。

それを回りに使い過ぎてしまい損な役回りで来てしまった部分はあるのだろうが、体調がダメであればそれでも回る方法を、環境が十分でなければそれでも可能な方法を見つけ出す、ということに長けている実感はある。ただ、その分多大なエネルギーを使ってしまっている感覚が本人になく、あとで体調がダメになるのだが(それは最近気づいた)。

解決、にアドレナリンが出ているせいもあるのか、それとも気を緩めてもいい状態が一切なかったからか、基本「つらい」「たいへん」で泣いてこなかった気がします。

ちょっとした出来事、怒り、では少しはあったかも。具体的な何か。これが必要だと伝えたのにこういわれた!とか、せっかく無理して~したのに無理解な○○された、とか一瞬の怒りや涙ぐむような出来事はちょくちょくありました。

ただ、つらい、とハタハタと涙とこぼすような状態にはなったことがない気がします。

涙は気が緩んだときにでる

ちょっと暇つぶしに読むような電子書籍(漫画)でも、主人公が泣いたりするのって、意外とつらいときより、頑張ったあとや、緊張状態のホッとしたとき、だれかに何か緊張が解けるような言葉をかけられたときのような気がします。

ずっと緊張状態で(無意識に)いることは、泣くということにどこか麻痺している気がします。ときどき感情までは麻痺しないように、感動するような漫画や映画をあえて見たりします。

一時的にでも感情が解放できるように。

物欲も恋愛欲もそれほどないのですが、どこか深層心理で求めていることはひとつあります。

いつか、「ホッとしたい」ということです。
それは再婚活の末なのか、気の置けない友達ができるということなのか、なにはともあれ、自分が先頭切って緊張して現状を保持していなくても生きていける状態になることか、そういう部分を担ってくれるのか、ともに支えてくれるのか、のひとに出会うこと。

恋愛とかイケメンとか、キラキラした話よりも、とにかくホッとしたい、のです。
自分より周りが見えて、自分が気を張る役目をおろせる、そういう人と出会いたいという願望はどこかにあるのです。

頑張りが麻痺して、願望もそれほどないけれど、その緊張を緩めてしまいたい。預けきれる信頼できる人に出会いたいとは思うのです。一緒に住む人じゃなくてもいいのかもしれない、年1で会うような心の友でもいいのかも。形態じゃなくて、疑うという行動をひとつもしなくていい人。
いうことを聞くという意味ではなくて、相手の考え・行動に信頼がおける人。

きっとたぶん、普段の人づきあいでもこういう人と関わってきてはいるのだけれど、甘える・頼る・支えられる、という普段自分が逆側を担ってきた部分をだれかに求めてしまう。
エネルギー補充がないままに頑張るのには、やはりつかれてしまう。だから、ちょっとしたそんな夢を描いて、どっかでほんとに出会ったらいいな、くらいは時々思ったりするのです。

きっと、そういう人に出会ったら弱さからではなく、ホッとしてしまい、泣いてしまうような気がします。そういう出会いは外国人でも日本人でもどっちでもいいなと思っています(笑)

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