ポテサラ問題と世界のごはん事情。国際結婚生活時代を振り返り。

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《ヨノナカ》

ちょっとSNS上でもりあがっているポテサラ問題。

最初あまり気になってなかったのですが、日本に特徴的だなーと感じます。

まず、ポテサラぐらい、と思うなら、その人が自分で作ればいい話。妻やおんなの人に「作ってもらおう」としている時点で甘えというか幼稚というか世話が必要な一人前のおとこではないという印象を受けます。

いや、別にレシピとしてのポテサラが作れる男がいいというわけではなく、自分の食べたいとおもうものを買うのか作るのか、その味も含めて自分できめて、責任をとればいいだけ、という話です。

それはおんなの人側も同じで、おとこの人はその選択に、信頼関係がある状態での「献立の希望」以外に口をはさむ権利がないと思うのです。だって、時間をどう使うかはだれであっても本人の選択です。エネルギー<お金、であればそれはそれでいいはずなのです。

飲みやパチンコやゲームだって、逆からみればムダなこと、と思っていても、仕事とのバランスを取っているんだなと奥さんなどは放っておいてくれるだけで。

イケメンかどうかはどうでもよくて日本人には一人前のオトコが少ない気がする

外国人がそんなにイケメンでなくても「モテる」イメージがあるのって、ここじゃないかなと思うのです。セクシーというか、結局「おとな」なんだと思います。

悪いことしようが、めっちゃ自信家だろうが、その人の決断と責任でやっている。
世間とか、肩がきとか、家族のせいにしない。

ひと一人としての存在がそこにあるから、人としてモテる、のだと思います。

日本人もだいぶそういった視点の人が増えてきたところではありますが、どことなく「理想の奥さん像」みたいなものがマスコミや社会で形成されてきてしまっている気がします。

よく考えたら肉じゃが別に好きじゃないのに、奥さんにするなら肉じゃがを作れる家庭らしい人がいい、というような「漠然」とした理想像。

ひとそのものよりも属性だったり、周りを重視してしまう。だから、理想と違って冷え切った状態になるのもわかる気がします。

日本の献立、豊富すぎがデフォルト問題

日本の社会でそだって、給食もバランスよく献立があって、主婦雑誌には様々なレシピ特集。
それが普通だと思っているから、毎日献立やら買い物やら調理に時間をかけていました。

上京する前には、すでに体調崩していたので、家族の代わりに家事全般をやっていて、3食メニューを考え、作っていた時期もありました。

なのでやったことがなくて言っているのではなく、実際にやってからの経験として、国際結婚してから常識は変わりました。

毎日そんなにメニューが必要か? レストラン経営でもないのに。

と気付き始めます。
相手の国の料理として出てくるものは、もちろんいろんなレシピありますが、日常で食べるものは「ある程度バランスよく、空腹を満たすもの」
が第一目的であり、毎食毎食365日メニューを変えることはどうでもいいことでした。

よく考えれば、素材はたいてい同じもの。野菜や、パン。肉や卵。スパイスなどの調味料。

日本でたくさんの食材が手に入りやすく、しかもいわゆる中流階級が多い国であるからこそ、かなう献立の多さ。給食で受け付けられている、献立が豊富=健康、といったイメージ。

似たような献立を続けると罪悪感すら抱く仕組み。

そんなに食材がない国や地域では、同じような素材で、どう変化をつけるか、そっちが大事で。

そして、食にバリエーションがあろうとなかろうと、食べる雰囲気や、食事作りだけに時間が取られないような工夫。献立だけが豊富で会話のない食卓、それが日本が陥りがちではないでしょうか。

パンとスープ。おにぎりと味噌汁。
たまに頑張って野菜たっぷり作ったら、いつもはそんな感じにシンプルでもいいはず。
時間かけて作ったのに、べちゃべちゃにしてしまってこどもが食べない!とかお互いストレス抱えるより。

そんなにメニューは必要ない。基本にプラスちょっとたまに風味を変えたりできればいいじゃないか。料理に集中したくて工夫したい時期には凝った料理を作ればいい。

ただ、献立毎日変えるのが当たり前、同じメニューは手抜き、というような幼稚な家庭の理想からは脱却する時期なのではないかなと思います。自分で作ればいい。幼児でもおにぎり作れるから、大のオトコは作れないわけがない。きっとハマればポテトサラダも作るでしょう。

国際結婚生活期間で、料理献立の呪縛からは楽になりました

献立たくさんなくても、「え?なにが問題なの?」という環境での生活と、5円10円握りしめて99円ショップで食料買うしかなかったビンボー生活により「食える」ことが大事。

レシピなんか毎回変えていられるかい!飽きない程度にちょっと工夫するだけで精一杯だわ、ほかにもやることあるんだし!っていう切羽詰まった毎日のおかげで、呪縛から解き放たれるのは早かった気がします。

一方で、日本食はつくれるけれど相手の国の「スパイス使い」はどうしても納得のいく感じにはならなくて、そちらの料理は配偶者に作ってもらうかたちになる、別のストレスは抱えましたが。(奥さんとして、相手国の料理も完璧にしないと、という日本の妻的理想にどこか縛られていたところがあるのでしょう。国際結婚といえどマインドは結構日本の特性に影響されていることが多いものです)

もうひとつ、献立をシンプルに考えざるを得なかった事情 アレルギー食への対応

異文化の食が家庭のなかにあるという他に、こどもがアレルギー体質であったということもあります。(これもまた別途書きますが、こう書いているといったい何個のトラブルが同時に発生していたか鬱状態になってしまいます。。)

簡単な離乳食セットを買おうが、手作りで頑張ろうが、アレルギーに関する成分が入っているほうがダメで、仮にジャンクなものであれ、アレルギー成分がないものが「必須」。

この状況も、献立に対する認識を変えたひとつです。
一生懸命、頑張って各種はいったものが逆にからだに悪影響を与える可能性を持つ。
頑張っているのになんじゃ?これは?
ってぎりぎり状態で思ったのです。だったらもうほんともう少しいろいろ食べれるまでマックとおにぎり定食でもいいじゃん!危険になるよりは。

そもそも昔は農作業しててもそんなにたくさん献立なかったよね?熱中症とか抵抗力とかに気を付けるケアはしたうえで、毎日献立変わらない=不健康ではない、逆に安全なことも環境によっては有りうるんだ!って身をもってというか、実生活から感じたのです。

栄養成分じゃなくて、欝々食べたり心配しながら食べるより、シンプルなものを心地よく。
それが結局基本なんだろうなと思う。

そして、経済的に恵まれた日本人より、それをちゃんと知っているのは海外の人たち。
だから国際結婚生活で良かった点のひとつとして、献立毎日変更圧力、からの解放、っていうのはあるなと感じています。

ポテサラ、作りたい人が作ればいいし、買いたい人(売上率が高いから)がいるからスーパーの定番なんだろーね。好きなように選べばいい。ただし自分で。

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