本当に自分のこどもだろうか?離れてた期間があるので時々不安になります

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《イキカタ》

もうだいぶ大きいのですがね。
たまに、この子はほんとに自分のこどもだろうか、と思う時があります。

別に、すごい天才的なことを口走ったとか、自分の考えとは似ても似つかないようなひどいサイコパスな思想を持っているとか、そういうことではなく。

単純に不安になるのです。

国際離婚前の別居期間中の 約半年のこどもと離れた期間

別居期間中に、親も倒れており、自分もけがで動けなくなったときがありました。
どうにか失業保険等々で、食いつないではいたのですが、食べることではなく、「魔の二歳児・三歳児」の時期で、とにかく動き回る、けれども自分でごはんとかお風呂とか生活のことができるわけでもない微妙な年齢。

ケガで世話自体ができない、外に出るのを止められない(車とかも通るし)。
最低限の衣食住と、安全が確保できない状態に陥りました。

また別途書きますが、保育や24時間保育、ベビーシッターや乳児院、いろんなところに助けを求めたんですよ。でもどうにもならなかった。

1週間くらいでいい、ケガによる熱が引くくらいまで。
他人に預けるよりは、血のつながりのある父親へ、と思って、ほとんど一緒に暮らした期間がなかったこどもの父おやへ預けたのです。(普通に普段から連絡は取っていました。ただ別居して離婚方面にすすめていただけで。これもまた書きます)。

まさかこれが半年も長引くとは思ってもいませんでした。

行ったときより小柄になっているからだ

むかえにいった話とか、その間の出来事とかはまた別途書きますが、まあいろいろあって半年後もどってきたとき、3歳くらいで地元を出たときのからだのサイズが、4歳で戻ってきたときにちぢんでいるのです。

声も心なしか高い。
こどもらしい高さではなくどっか子役的というか。

胸郭が異常にせまく、2歳くらいの服を着ている感じでした。
その分、全身を緊張させる状態にあったのか、という罪悪感や後悔はまた別途書きますが、その変化から、ほんとうに自分のこどもだろうか、離れていた半年にこうも変わると。ちょっと疑いたくなってしまう自分がいました。

3歳から4歳、普通こんなふうに成長するだろう、の真逆を行っていて、言葉や動きだけが成長している。あたまだけ変にバランス悪く大人びている。

のびのび、ちょっと好奇心旺盛な面影がほとんどないのです。

帰ってきてからも荒れる性格

我慢はしすぎる、それでいて、怒りが乱暴に変わる。
帰ってきてからも、こどもらしい時代とは少し違う日々を過ごしていました。

帰ってすぐは、ごはんも、一緒に寝るのも遠慮する。
ふとんや楽しいことも遠慮する。4歳なのに。

だんだんわがままを言うようになってきたときには心底安心しました。その途中として、甘えやいままでの我慢が乱暴に出てしまっていたのだと思います。このタイミングが体が大きくなった10代ではなく4歳という、まだ大人が対応できる腕力だったのもいま思えば幸いしていたのかもしれません。

性格も風貌も、だいぶ変わってかえってきてしまって、どこかほんとに自分のこどもだろうか、と疑って、同じところを見つけ出しては答え合わせをして、同じ子だ、と自分のなかでも安心感を探していた時期でした。

この時期に、環境が人を変えることを身をもって体験したことで、その後の子育てにおいて、他人軸でものごとを決めたり、管理するような育てかたをしないように努めるようになっています。それも今思えば、長い目でみたらプラスなことだったのかもしれません。

わがままを出せたり、からだが小さくなってしまうようなストレスがある環境にいないだけでいい、そう割り切った子育てができたからです。

いま時を経て思いで話のなかで答え合わせ

最近かいものや散歩などに行ったとき、ちょっとした会話のなかで小さいころの記憶のことがでます。

預ける前の2歳や3歳のころの記憶があって、実際の様子と合致しています。それをきいて、ああ戻ってきた子は自分のこどもで間違いないだな、と安心材料をいまでも増やしています。
そうでないと不安なのです。どこか。10年経っても。
一緒にいない間の半年に何があったのか、すべてを知る術がないから。

後悔とともにいつも不安なのです。

環境や相手、社会に対する怒りもたくさんあります。と同時に、この部分は後悔の面が大きい。ただ、この経験がなければ、教育ママのように「理想を押し付ける親」や「完璧主義」をこじらせるような親になっていたとも思うので、結果としてはまっすぐ育つためには、「わたしのほうに必要な試練だったのではないか」と思っています。

その半年のかわりというわけではないけれど、贅沢とかそういう方面ではなく、なにか決めたことがあったり、変わった選択をするようなことがあったら、なんの条件もなしに「思うとおりにGO!」っていつでも言ってあげられる体制は作っておいてあげたいといつも思います。資金とかそういうのだけじゃなくて、マインドの面でも。子離れできないとか、こういう職種はしないで、とかビジュアル系バンドはやらないで、とかそういう理想を押し付けるような姿勢ではいないように常に気を付けているのが、お詫びなのかもしれません。

人生としては必要だったできごとかもしれませんが、社会のシステムで防ぐことはできた

別途記事にしますが、乳児院も市のサポートも、具合悪いながら、助けを求めたのです。でも、環境や住所地、家族関係のあいまいな問題で、結局支援にはつながらなかった。

結果、父親に預けるほか衣食住を確保する方法がなかった。精神面やDVや、育児放棄や、継母介入とか、問題が起こることは想定済みだった。だけど、そのまま家にいたら、自分のケガも直らないし、たべさせてもあげられない。

リスクもわかった上で、「まだまし」な方を選ばざるを得なかっただけ。いろんなズルする人がいるから制度が厳しいのかもしれない。

でも緊急のときって、ほんとに緊急なのです。あとで返金や回収を義務付けるにしても、そのときはぽんっと簡単に、たとえ嘘の人が混じっていても助けてほしい。嘘の人を省くために、ほんとに困っている人が何倍もはじかれている。

仮に、なにかどこか100%、そのタイミングだけ無償で、半月どうにかしてくれるシステムがあったら(医療等も信頼できて、子育ての知識も我流ではない専門システム)半年も手放さずに済んだし、からだを壊すのも10年以上も引きずらない。児童扶養手当とかを必要とさせていているのは国のシステムだと思う。

助けが必要なときに助けずに、長々うわべのサポートをする。かえって長引くし、国の予算もかかるのに。ほんとに困ったことのある人がいろいろ考えていないんだろうなと思う。

だから、自分の背負い過ぎに対する後悔のほかに、世の中、社会に対する怒りもまた常に感じています。

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