あいだに入らなきゃ性質がもたらしたものは、ネゴシエートのスキルだったり問題解決力だったり。
だけど、あいだに入ることは、相手の人生にとって必要だったのだろうか。
一見ひどい言い草の「べつに頼んでない」という言葉はある意味、真なのかもしれない。
必要としていないところを先回ってやってしまっても、やったことには気づかれないし、それだけならまだ想定済みだとしても、余計な策略だと捉えられるパターンも。
自分が楽しむ、ということも後において、なにかを処理してきた数年の意味はなんだったんだろうか。
報われることまでもとめてはいなかったけど、嫌疑の方向へ行くのであればなんのための数年間。
全員が幸せになるのは無理なんでしょうか。理想郷?
少なくともおなじパターンを繰り返しているのは自分。
外国人、こども、つぎは病人。
自分もだれかに頼ったりさぽーとしてもらうべき体調や環境なのにもかかわらず、ひとのために動く。自分しかいなかったから。
でも無理すればこどもも病人も動ける段階になってきた。
わたしが無理する必要はなくなった。もしかするとハナから無理なんてする必要がなかったのかもしれない。
ないならないで、なにか進んでいたことにわざわざ首を突っ込んでいただけかもしれない。
自分の人生をとっとと生きておけばよかったと思っている。
経験が糧になる。
それは否定しないけど糧になるまえにまいってしまうことだってあるのだよ。