体調不良に思うこと。

時々起こる体調不良は、過去に引き戻される

今でこそ、たまに「すごい体調不良」。

それ以外は気にすれば、まだまだ体調不良、感情をOFFにすれば、そこそこ生活できるくらい。

特に、無理をしない場合でも、天候などで時々体調不良がやってきます。貧血とか、頭痛とかわかりやすいものではなく、「動けなった時期の体調と同じ感じ」は、実際の体調の良しあしよりも不安を引き起こします。

また、あの時代くらいに動けなくなったらどうしよう、という。

計画的に進めることや、何かを成し遂げることに「諦め」がいつもあります

こつこつ何年もやることや、計画的に何かを目指したり、購入したりすることは苦手でもないし、嫌いでもない。

でも、いつも体調や、人生における何かがタイミング的に降ってくるから、何かを予定通りに進めることに諦めがあります。

たとえば、年単位でとるような資格。何年後かの引っ越し。何年も使えるようなきちんとしたものの購入。

いつも自分の努力とは別のところで、根気とは別のところで、何かが起こる。深層心理でそれを望んでいるなんて分析は今はいい。

昔ならともかく、今はそういう自己肯定感やインナーチャイルドが絡まった問題を言っているのではないから。

急な引っ越しや、思いついたらせっかちにものを進めてしまうのも、刹那的なお金の使い方をしてしまうのも、丁寧な暮らしをあきらめているのも、そういう体験が積み重なってきていることがあると思います。

おかげで、「今を生きる」ことには上手になったし、やれるときにやれることをやるのも身に着けた。

でも、長期かけてやりたいことや、いつも焦りを感じずにやりたいことって、それなりにあるわけで。

穏やかな日常や、なりたい自分ってなんだろう。

本当にわからないわけではないのです。

なりたいかたちも、求めている穏やかさも知ってる。

ただ、そういうことを望むたびに、得られない体調やら、続けられない環境が繰り返されてきた。

ずっと、こどものころから体調不良だったから、まずは「体調」を「普通に健康」にしない限り、自分が何かを求めたりしちゃいけない、っていう枷はずっと自分につけてきたのは感じてる。遊ぶのも、目指すのも、健康じゃないとこなせないことばかりだったから、何をするにもまずは「普通の体調に」って思ってた。

でも、今になると思うのは、「自分のままで」「今の体調のままで」できる方法を見つけ出せばよかった。普通になることに時間をかけているより、今のままで「目指すことを達成」するにはどういう方法があるかを模索するほうがはるかに近道だっただろうに。

幸せになってはいけない、安定してはいけないという囚われ感

そういう人生歩んでいると、どこかで、もう安定してもいいのに、そこをあえて通らない自分っていうのも出てくる。

安定に慣れていないから居心地が悪い。

そして、まだ「普通の生活」に対する義務感が抜けないのだと思う。在宅ワークは普通に働けるスキルが高い人がやるものだ、とか、シングルマザーは人より先行しなきゃいけないとか。

「普通」以下の体調で、「普通」以上に頑張り続けているのだから、本当はもう頑張れない、そう気づいても、社会に関わると、そうはいかなくて。

じゃあ、社会とは違う方法で、「今の自分のまま」できることを模索。
それが今の自分。

整理する時期

頭のなかを整理したくても次から次へとこなすべき、優先すべきことがある生活のなかでは、いったん置いてみる、というタイミングや心の余裕がなかなかない。

体は一番動かない時期より、動いているのだから、ゆったりできるはずなのに、逆に「やらねばならない用事」を入れようとしてしまう。

向き合うことをしないようにしているのかもしれないし、じっくり向き合える時期まで、あまり考えなくていいように無意識にしていたのかもしれない。

そして、ここ最近、その向き合う時期にしてもいいんじゃないか、という時が来ているような気がします。

じゃないと、体調不良のたびに、過去に引き戻されたり、安定してもいいのに、不安定さを選択してしまうような気がする。

体調にも、治すことにも、疲れたことにも、すべてそのままで整理だけ、まずしてみよう、そんな時期かなと思っています。

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