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個々に意見を持てる文化の転換期? 集団から個の集まりへ。

日本はもともと、集団や世論、の力が強いです。何か目的をもった団体というのはなかなか成り立たないのに、集団のいじめや談合、世論の目など、同じ目的がなくても集団化できる国民性なのかなと思います。

自己組織化や設定変更は自分探しの旅?

最近、ネット環境の向上や、国際化によって、いろいろなものがボーダレスになってきています。

今までの社会を変えなくては!や、もっと生き方を変えよう!とか多様性のある社会にしよう!とか当事者も、自分たちで動くことがヨシとされる世の中になってきました。

もちろん、どんな時代でも、志高く行動してきた人たちはいます。最近になって、ようやく日本もそういった声が上げやすくなってきているのかなと思います。

自己組織化や、設定変更など、生き方やコミニュティとして盛り上がっている分野がありますが、少しまだひいてみているところが私にはあります。

それは文化が変わってきた社会の流れなのか、かつての留学や海外へのあこがれが強かった時代の「自分探しの旅」の別バージョンなのか探っているところです。

なんちゃって自分探しの旅にゴールはない。

自分探しの旅と称して、いろんな国を旅し、結局探せない。それは、みんな体験して感じてきていることだと思います。

「答えは自分のなかにある」

とそれが常套句のように言われ、確かにそうなんだけど、自分のなかの自分探しも終わりがないのではないかなと思うのです。

今はやりの設定変更や、自己組織化はどうなんだろう、終着点はどこになるのだろうと様子伺っちゃいます。

どんなことでも「自分探しの留学」でも、最初のころにやった人は確固とした思いや、試行錯誤があって、その理念確立自体に嘘やブレはないのだと思っています。

ただ、そのあとを追随する人たちは、レールを作ったわけではなく、そのうえを歩くことになるほうが多い。(時に途中から、新しい道作る人もいるだろうけど)

試行錯誤がないってことは、本筋や目的も見失いやすかったり、惰性で参加したり、あまり努力なしに参加を決められるってことだ。

目的を決めない、こともまた人生のひとつだけど、なにやらとてもすごいことのようにもてはやされる理念をそれぞれちょっと参加したりしてのぞき見るにつけ思うことがある。

それって、単に個の文化が一般化してきているだけではないの?という疑問

集団主義VS個人主義、という単純なものではなく、日本人だって集団の概念が目立つけど、古代から見てみたら、意外と「個」を大事にしてきている。

でも、昭和あたりからの日本は、経済の成長とともに「世論」が力をすごく持ってたような気がする。

その時代に育ったり、親だったりした現代の私たちは、「個」を大事にしたり、「個」×「個」のコミニュティ、は当たり前のカタチではなかったし、社会もそれが難しい環境だったと思う。

グローバル化、IT化が進んだことで、いろんな文化、バックグラウンドの人とつながれる時代だ。

そこで判断されるのは「個人」であり、肩書や所属ではない。

今まで押さえつけていた、欧米ではデフォルトの「個」を大事にするという姿勢が、進み始めた?当たり前になり始めただけなのかも、と時々思ってしまって、新しい概念っぽく盛り上がっている流れに、ちょっと乗り切れないでいます。(笑)

一方で、日本の「和」を大切にするとか、「気を読む」とか本来繊細でマイナスではない特性が「個」の時代と絡まって、どう変化していくか、関心があります。

伝統工芸の技の繊細さ、他国に真似できないあたり、これと「個」を発揮できる力が加わったら、今までと違う「日本の凄さ」が見えてくるんじゃないかなと。

日本好きなんです。

だから、良さがわかるなら、外国人にでも知識や技を開放してもいいと思うし、日本人自身ももっと日本のこと知ったらいいよね、って思います。

自分の国よく知らないグローバルって、自分のことよくわからないまま他の人よく知ってる噂好きの人みたいになっちゃうね(*´▽`*)

という思いもあり、日本旅をプロジェクト化しているのでした(^^♪

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