礼儀という名の感謝の強要と、見返りなしの行動への不信 だから日本が住みにくい!

 「ありがとう」はThank youと同じ?

ありがとう、という言葉一つとっても単純に機械のようには翻訳できないようです。そこに隠れる国民性、背景、が影響する。だから翻訳も面白いのかもしれない。

感謝の気持ちを述べるのに「ありがとう」という日本人は素敵だと思います。ありがとうという気持ちはあっても、人前ではなかなか恥ずかしくて言えない言葉ですよね。WEBから拾い集めた情報によれば、ありがとうの語源は「有難し」なのだとか

有難しとは「有る事が難しいような事があった=非常に珍しい幸福なことが起きた=だからこれは神仏のお陰だ」という訳で、古来神仏に感謝する言葉でもあったそうです。「普段無いようなことが有った事を嬉しく思います」という意味です。

(上記リンクより)

日本語でのありがとう、の時の気持ちが=Thank youの時の気持ちとは、若干違うかもしれない。だから、Thank youと言えるシチュエーションだからって、「ありがとう」と言わなければならないシチュエーションとは限らないのだ。

最近、「ありがとう」を言われていないと指摘、アドバイスされる出来事があった。折にふれて、Thank youの意味でのありがとうは言っていたつもりなので、ピンと来なかった。

私にとっての「ありがとう」はもっと大事な言葉

そんな出来事があってから、自分を振り返ってみると確かにラフな感じの「ありがとう」は言っていても、ほんとに心からのありがとう!!!は言っていない。

相手が求めていたのはそれなのだと思うけれど。

上の引用で、感覚でなく、文章として理解できたのだけど、私にとっての「ほんとにありがとう!!!」っていうときの感覚は、たぶん人に向くものではない。もちろん、私のことを思って愛情深く、何かしてくれた人には感謝の気持ちが自然とわくだろう。それもふくめて、自然・偶然・相手、すべてにありがとうー!っていう気持ちのときに使う言葉。

たぶん、私のなかに「ラフ」な感謝以上のことばが生まれてこなかったのは、私自身の礼儀にかけている部分もあったとして(そこは気をつけますが)、「ありがとう」を自然や神仏や、偶然にではなく、自分に向けて!という傲慢さを相手に感じたからのような気がします。

ボランティアといいつつの「ありがとう」の無意識の強要

voluntarily

辞書でしらべてみると、自由意志で、自発的に、任意に。

強要されているわけではない。お金ももらっていないから、やめるのも自由。

自発的にやっているから、お金はいらない。でも感謝はされたいからボランティアをする、

人を助ける、お手伝いする。感謝をされないと怒る、辞める。

何か違わない?って思った。

辞めるのは自由。ただ、「自発的」にするはずのボランティア、感謝という対価がないことで辞めるのは、そもそもボランティアじゃないのでは、という。

お金という対価の代わりに、「ありがとう」が欲しいだけ。お金をもらわない、のだから気高いことをしている、受けている側、してもらった側は感謝の気持ちをもつべきだ、というのは何らお金を受け取っているのと変わらない気がするのだ。

正当な時間やエネルギーの対価として、お金をいただいた方が双方よっぽどもやもやせずに済むだろう。

受け取り下手な日本人、受け手も送り手も対価が必要なの?

助けたいとおもったから助ける。

それは個人の意志であり、選択。でも日本人は、何かしてもらったらお返しをしなくてはならないと思っている。(それは人としての気持ちというより義務的なものとして)

そして、お返しを求めない「親切」「くれるもの」に対しては何か裏があるのかと考える。

よく海外に行って、海外の人に親切に感動する日本人がいるけれど、そして何かお礼に、ってする人がいるけれど、失礼な話だと思う。

だって、求められたからやってるんじゃない。何かが欲しくてやっているんじゃない。

ただ与えてくれるのだから、ただ「ありがとう」と受け取ればいいのだ。それが一番、敬意を持っていること。

ボランティアの感謝の強要に「ありがとう」と言えないのは、そこにボランティアをしない自由もあるのに、してあげたからありがとうと思え、が隠れているからだ。

ボランティアは本来、やりたいと思う自分の気持ちと責任でやるもの。

対価が明確に欲しいなら、金銭なり、権威なりがもらえることをすればいい。

ありがとう、といういい言葉をカサにきた、エゴを満たすための正論は結構だ。

だから、日本という社会は住みにくい。

そして、「ありがとう」も「ボランティア」も安易な使われ方から救いたい言葉だ。
コレは好き♡

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